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おばーちゃん




2月18日。

おばーちゃんの誕生日でした。

何もしてないけど、「おめでとう」って電話だけしました。

おばあちゃん、いくつになったの?って聞いたら、

95歳だって!!!!

知ってはいたけど、びっくりー。

永遠とも感じられる長さだ。






とってもキュートなおばーちゃんなんだよ。

キーワード1−17「ピコピコ」参照。

テレビにアイドルとか出てて、

おいらがそれをぼけーっと見てたりすると、














「おばーちゃんも若い頃は、それはそれは綺麗だったんだから・・・」




って
自分で言うくらいだからね(笑)










ご飯食べたあと、おいらが、


「あー、美味(うま)かった。」って言ってると必ず、




















「馬(うま)かったぁー。はぁ〜、牛(うし)負けたぁ〜♪」って


とっても素敵な歌
を歌ってくれます。














洋食が一切食べられません。

特においらが大好きなカレーライスの事は、

目の敵にしていて、

「美味しいから食べてごらんよ!」って言っても、





















「そんな支那の雑炊なんて食べたくない!」って言って、


口さえつけません。


















外来語が苦手でねぇ、


特にひどいのが、スパゲッティー。


言えないんですよねぇ。


「おばあちゃん、今日の夕飯、お母さん何作るって言ってた?」


って聞くと、















スパテーキって言ってたよ。」




と返事が返ってきます。


まあねぇ、あの世代の方なら仕方ない事なんでしょうけど、


うちの弟くんって完璧主義なんですよね。


それがどうしても許せないみたいで、


「スパテーキじゃなくって、ス・パ・ゲ・ッ・テ・ィー!」って


何度も訂正させようと試みます。


それに合わせて、おばあちゃんも言おうとはするんだけど、


何度言っても、練習しても、














「スパテーキ」










時々、とっても上手に言えたとして、

















「スパゲッチー」
















それがひどい時には、


















「スパステーキ」





それって一体どんな食べ物だ?





すでに、メニューが変わってる気が・・・・











ねっ、キュートでしょ?

こんなおばあちゃんの誕生日だったんですよ。











うちのおじいちゃんとおばあちゃんって同級生の幼なじみ。


同級生って言う言い方はおかしいかな?


歳はおじいちゃんの方が1歳上なんだけど、


同じ学年だったそうです。


なぜ?


小学校に上がる歳になったおじいちゃん。


学校なんて行きたくない!ってダダこねて、あばれて、


それなら行かなくていい!って事になって、











入学が1年遅れたんだって




古き良き時代だ。









うん。でも、いつも仲良しだったよ。

どこに行くにもいつも一緒で。

おじいちゃんが元気な頃は、二人でよく旅行に出かけていたなぁ。












そんなおじいちゃんが亡くなったのが73歳の時。

肺ガンで亡くなりました。

具合が悪くなって2年くらい、入退院を繰り返していたんだけど、

おばあちゃん、文字通りつきっきりで看病してました。

タバコ吸っちゃダメ!ってお医者さんに言われてるくせに、

やめられなくってねぇ。

布団の中にタバコを隠していて、

それをおばあちゃんに見つかって叱られたりしてたっす。

おじいちゃんが亡くなったあと、おばーちゃん、

随分しばらくの間、何もせず、何もしゃべらず、

ぼーっとしたまま1日中過ごしていた事を覚えています。

そしてその後23年一人で生きてきた、おばーちゃん。

どんな気持ちだったんだろう?

寂しくないのかな?

もし、僕が結婚して大好きな人に先だたれちゃったりしたら、

一人でなんか生きていけないと思う。

ましてや、20年以上もなんて・・・










おばあちゃん。

僕にあうたびに言うことがあるの。

おばあちゃんが楽しみにしてる事。

100歳になると、市からお祝い金って形で、

100万円貰えるらしいんですよ。

僕の顔を見るたびに、それを嬉しそうに話してくれるの。





「もうちょっと待ってな。

 100歳まで生きたら、市が100万円くれるんだって。

 おばあちゃんもう少し頑張るからね。

 100万円もらったら、そのお金で、moon、お前に

 かっこいい車買ってあげるからね。

 お前が就職した時に、車買ってやろうと思ってたんだけど、

 その時、おばあちゃん病気してたから、

 あんまりお金持ってなかったから、ごめんな。
 
 でも、もう少しで買ってやれるから、待っててな。頑張るから。」



って。





おばーちゃん、100万円では車なんて買えないんだよって思いながらも、

おばあちゃんの嬉しそうな顔見ると、そんな事言えるわけもなく

欲しいものなんて自分でなんだって買えるよ、そんなお金なんていらないよ

なんて言うのもおばあちゃんの楽しみと目標を奪うような気がして、

「うん。楽しみにしてるね。おばーちゃん、頑張ってね。」

って答えます。








そして、そう答えた後は、

いやがおうにも、おばあちゃんの歳と死と言うものを考えてしまう。

あと何年こうやって会話出来るんだろう・・・

あと何年一緒にいられるんだろう・・・







僕が尊敬し、かつ、文章のほとんどすべてを彼に教わったと(勝手に)思ってる、

作家は、その作中でこう語ってる。






















「死は生の対極にあるのでなく、その一部ととして存在する。」と。
























確かに生きてるということは、すでにその中に「死」というものを持っていて、

時間とともに、その死と言う部分は大きくなっていくであろうし、

時間なんて経過しなくても、それはある日突然やってきたりする。

それは対極になんてあるわけでなく。

生きている=「死」を持ち合わせながら生きていると言うことだろう。











でも、勝手な都合だけど、

自分、そして自分の家族、仲間達。

そんなごく限られたモノだけでいい。

その方達だけは、一部でなく、対極にあって欲しいと思う。

そしてその距離は広がって行って欲しいと思う。









ひ孫を抱きたいって僕の顔を見るたびに言うよね。

ごめんね。不甲斐ない孫で。

ひ孫なんていつになるか分からないけど、

僕も頑張るから。

おばあちゃんも頑張ってね。







お誕生日おめでとう。









  

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